息子が「どれぐらい?」と聞いてくる。こういうクセがあるのです。
例えば、「ベット下の引き出しを使わなもったいないんちゃう?」と私が言うと、「どれくらいもったいない?」と間髪入れずに聞いてくる。
どれくらいかな。難しいことを聞くではないか。
「魚沼産コシヒカリで炊き込みご飯を作るくらいもったいない」しょうがないので、私はテキトーに返します。
「そんなに?!」と白米至上主義の息子が驚く。息子の思う「そんなに?!」とはどのくらいなのか。
そして「それって、のがみの食パンでサンドイッチ作るくらいもったいない?」と、例えに例えを足してくる。
そうだ、そのとおりだよ息子。サンドイッチはヤマザキの10枚切りで十分なのだから。私は力強く頷く。
二人とも、もう引き出しのことなんか忘れてしまっているがそんなことはどうでもいい。
「もったいない」を辞書で引くと、例文として「魚沼産コシヒカリで炊き込みご飯を作るようなこと」とか「のがみの食パンでサンドイッチを作るようなこと」などと書いてあればいいのにな。
いや待てよ。これは私の考える「もったいない」であって、炊き込みご飯こそいいお米で炊くもんだと信じている人がいるかもしれないじゃないか。
そんな人からすれば「なんじゃこの辞書は!」ってことにはならないか?きっとなるな。怒り辞書を床に叩きつける未来が見える。
「なんじゃこりゃ!」を辞書で引くと、「この辞書を床に叩きつけたくなるような出来事」と書いてあったらいいのに。いや待てよ…。もういいか。
この前、レストランの手洗い場の壁に注意書きがあった。その内容が「思ってるのの3倍勢いよく水が出るので注意してください」と書いてあるものだった。
私は手を洗いながら考える。私の1倍を知らないくせに、よくも3倍などと軽々しく言えたもんだと。
席に戻り夫に言いました。お店の人は私の1倍を知っているのかってね。夫は無言で考えた後に「勢いが良過ぎるから気をつけてってことじゃない?」と、ものすごく当たり前なことを言いました。「で、勢いは強かったの?」ってね。
勢いが強過ぎたならまだ良かった。それは全くもって普通だった。
私も見くびられたものだと思いましたよね。私の1倍はこんなもんじゃないぜってね。こんなことばかり考えながら、ちゃんと手は洗えていたのかどうなのか。
なんでもかんでも考え過ぎる、息子のクセは私のクセのせいなのかも知れない。
AI先生が描いた、考え過ぎる人