先日、息子とビデオ通話をしていた時、息子のもみあげの長さが、左右でかなり違っていることに気がつきました。
小さなスマホの画面でも、気づくほどの違和感。
左右で3センチは違っており、右だけ長く、裾広がりの形をしておりました。
キテレツ過ぎるスタイルに震える夫と私。
もちろん、人間が美しいと思う感覚は、ひと通りではないことは理解している。
人工的に手を加え、左右対称に作る西洋庭園に対し、あえて左右対称を崩し、自然に近づけた日本庭園のような左右非対称の美。
髪型や衣服を左右非対称にして、モダンな雰囲気を出す、なんてこともあるのだから、そう考えれば左右非対称もアリなのかもしれない。
でも、もみあげはどうだろう?
私は涙が出るほど笑ったけれど、本人は全く気にしていなかった。
「大丈夫やって。真正面から人の顔見ることなんてないねんから、気付かへんて」と息子は言う。
そんなわけない。正面からも見るわ。100%見る。
それに、気がつかないならいいのか?って問題もあるわ。
そう思ったので、「お友達には何も言われへんの?」と尋ねてみたが、一度も指摘されたことないと言う。奇跡よね。
片方だけ、尾崎紀世彦モデルのもみあげ。その素質は認めたい。
誰も彼もが出来る型ではないからね。毛量も必要なわけだし。
でもどうせ、鏡も見ずにカンで髭剃りをして、偶然出来上がった紀世彦だろう。
母にはわかる。長い付き合いだから。
「眉毛だけは繋がらんように注意してるねんけどなー」と息子。呑気なものである。
そんなテキトーな息子に、「いい?眉毛と同じくらい、もみあげも大事なんやで」と静かに説いた秋の日。
大学生の息子に、もみあげの大切さを伝える母など、日本広しといえど私くらいのものではなかろうか。
(ちなみに、夫は両もみあげが白髪の、北大路欣也モデル。これって遺伝よね)
息子、一人でわちゃわちゃ暮らしてるんだろうなぁ。
授業にレポート、バイトに家事と忙しいだろうし。
この間も、床にトイレットペーパーの芯が転がったままだった。
「芯、ほかし」って私が言うと、「明日ほかすわ」って言ってたな。
何で、今じゃなくて明日なのか謎だった。
でも、そんなのは小さなことだ。言い出したらキリがないもんね。
風邪ひいてないかしら?ごはんはちゃんと食べてるかしら?野菜も取れてるかしら?
心配事もキリがない。一人暮らしさせるのも忍耐だわ…。
夫は違います。大変だろうけど、息子は今、いい経験をしてるんだと言います。
お金が足りない、美味しいものが足りない、いろんな「足りない」を経験している時なんだと。そういう時期があったほうがいいし、そういう足りない時期があって初めて、手に入れる喜びがあるんだと。
あぁ、父だね。昭和の父だ。
私は、ただただ心配ばかり…。