脱力生活くらぶ

50代専業主婦 ゆるく生きてゆく

人を褒める

誰でも人に褒められるのは嬉しいものです。だから相手の素敵な部分を見つけたら口に出して言えばいいと思う。

服装や髪型などが似合ってるとか、性格が真面目だとか、やさしいとか。そういうのがいいと思う。

私は先日、波動を褒められましたのよ。夫にですけどね。「母ちゃんは波動がいい」って言ってね。人に褒められて喜べなかったのは今回が初めてでした。得難い経験を致しましたわ。

波動って何よと思いますよね。私も思いました。夫が言う「波動がいい」は「気」のようなもののようでした。私は機嫌良くやっていますので、そういうことを言いたかったのかもしれません。

でも、褒めるタイミングはもっと他にあったと思うんです。先週、美容院に行った後や、たけのこご飯が美味しく出来た時なんかにね。

とはいえ、私もえらそうなことは言えません。相手を褒めようと思うと、その人のことをよく観察しなくてはいけませんが、私は人が身につけているものに興味を持って見ていない。

だから「あら、春らしくて素敵なブラウスね」なんて言葉は簡単には出てこない。その日に会った人が何を着ていたか思い出せないなんてことはザラにあります。

それなのに女性は何でも褒めてくれるでしょう?「イヤリングが可愛い」とか言ってね。髪に隠れた小さなイヤリングさえも見逃さないその眼力は素晴らしい。けれども、私は腰が引けてしまうのです。すごく見られているってことだから。「いやぁぁ、そんなに見ないでー!」心の中ではそう叫んでいるのです。

いっそ、平安時代の高貴な人々のように御簾ごしに会えばいいのかもしれない。けれども、そうなればなったで、人は環境に適した視力に成長してしまうのだと思う。

そのうち「ワタシ、御簾ごしでもバッチリ見えるのよ」なんて人が現れる。何だってコツをつかむのが早い人っていますからね。「薄目にしてぼんやり見ると見えやすいわよ」なんて言ったりしてね。

二人で会うならいいけれど、複数人の女子会の御簾の配置はどうしたらいいのかな?店内は御簾だらけ。もう行くなって話ですよね。帽子のつばにパチっと装着、御簾mini。どうです?売れますかね?いけない、御簾に夢中になり過ぎました。

さすがに褒められっぱなしもいけないということくらいはわかるので「髪切ったん?短いのも似合うわ」なんてことを言うのですが「切ったのもう3ヶ月前だよ」などと返され凍りつきます。上手に褒めるって難しい。

こんな私たちを両親に持つ息子ですが、彼はいとも簡単に人を褒めます。「母ちゃん、かわいいな」なんて言うのは朝飯前です。家でも、同級生を褒め、先生を褒め、バイト先の店長を褒めます。妬みの感情ってものがありません。自分が褒められても「ありがとう」と素直に笑う。いったい誰が育てたのでしょうね?それが、不思議なことに私なんですよね…。あんなふうになれたらなぁ。

やったね、ついに思った通りの絵をAI先生に描いてもらうことに成功です。小さなイヤリング。