昨日、夫の夏休みと息子の帰省が終了して通常通りの生活になった途端、一生治らないと思える肩こりと頭痛が魔法のように消えました。
これってやっぱり(ピー(自粛))なんでしょうかねぇ。夫と息子の休みが(ピー)だから(ピー)なんよね。あっはっは。
お盆休みに痩せて帰ってきた息子をなんとか太らせようと、せっせとごはんを作っては食べさせる2週間だったのですが、頑張りは虚しく息子の体重は変わらないままでした。若いから?代謝ってヤツか?くやしいわ。
私はこの頃、好きなものを思い出すことを楽しんでいます。ひとりでいる時間がたくさんあるので、昔好きだったことをたどってみようと思いまして。今回はその①です。その②があるかは不明ですが。
ということで、久しぶりに「赤毛のアン」を読みました。今回で何回目だろうか。
何回読んでも何歳になっても楽しめるアンの世界。アンではなく、マリラやマシューの目線で見ている自分にはっとしたり、大人が読んでもためになる教訓が散りばめられていることに気づいたり、クリスチャンらしいものの考え方に注目したり、こんなに美しく文章で風景描写ができるものかと感心したり、毎回新たな発見があって面白いのです。
私が持っているのは、掛川恭子さん訳の完訳版です。完訳版って言葉に惹かれて買ったのですが、村岡花子さん訳のものと比べどこが完訳なのかはわかりませんが、村岡花子さん訳のものを最初に読んだ私たち世代にも、がっかりさせない素敵な翻訳です。
もう古いのでこのシリーズは売っていませんが、今は松本侑子さん訳の完訳版がありますね。それも読んでみたい。そして、私は1~3巻で終わりでいいと思っている派です。実際はもっと続くんですけどね。
「赤毛のアン」は何度も映画化されたりドラマ化されたりしていますが、映像化されると、どれもこれもなんだかなぁ…です。
マシューがアンにプレゼントしてくれた、膨らんだ袖のドレスの色は茶色なのですが(茶色ってのが重要なのよ。話がマニアックすぎますか?)、映画になるとなぜか水色のドレスに変わっていたりするし、太っているはずのリンド夫人がすらっと背が高かったり、背の高いアンよりダイアナのほうが大きかったりと、「あれれ?」がいっぱい出てきます。大事なポイントがズレている。Netflixのものに関して言えば、開始6分で見るのをやめました。ちゃんと本読んだ?って聞いてみたい。
原作に忠実に作っているのは世界名作劇場だけで、これがもう完璧なのです。嬉しくてくす玉を割りたいくらいです。
すごいわ、世界名作劇場。監督・脚本が高畑勲さんだもんね。ありがとう、Mr.高畑、ワタシとってもうれしい。
カナダのプリンス・エドワード島は実在する島で、現地に行けばアンが暮らしたグリーンゲイブルズ(緑の切り妻屋根の家)もそのまんまの形であるわけです。行こうと思えば行けます。あこがれ続けた場所があって、そこに行けるとしたらどうしますか?
行きますか?行きませんか?
(私は行かない派です。あこがれはあこがれのまま取っておきたい。「輝く湖」が濁っていたらどうしようとか、余計な想像してしまってね…。とほほ)