「レジで割り込みするなんて信じられへん、その人70代やったんやで」と言う私に夫は真顔で言いました。
そのお話はこれです ↓
datsuryokuseikatsu.hatenablog.com
「何百回も転生する魂の年齢からしたら、今世で70年生きたからって大したことではないんじゃない?」と。
その人は、生まれ変わりが3回目の魂なのかもしれないから、割り込みしてもしょうがないと言います。3回目はまだ子どもなんだからと。
「見えるところに3と書いておいて欲しい」と言う私に、「それは恥ずかしい」と夫。クスクス笑います。
私だって恥ずかしいと思うよ。でも、見えるところに3と書いてあれば、「しょうがないか、あの人3回目なんやもん」と、あっさり許してあげられるじゃないですか。
「じゃあ、足の裏に3って書くことにする?」と、書く場所を妥協した私を、また夫は笑います。
でも、足の裏がベストじゃない?足の裏以外にあるかなぁ?
とはいえ、足の裏に魂の転生回数を書かれて生きる人生ってどんなだろうかとも思う。
私が勝手に設定するのも何なんですが、転生回数がMAX500回としたら、自分の魂は何回目だと思います?考えたことありますか?
夫にたずねてみましたら、「27回目くらいかなぁ」と小さい声で答えました。謙虚。
こうなったらもう、どうしたって人の足の裏が気になるよね。
お友達のみなさんのや、会社で一緒に働く人たちのは何回目なのか…。
結婚を考えている彼がいるなら、まず足の裏が気になっちゃうんじゃないかしら。
3だったらどうする?自分は150なのに彼が3。
3なだけあって、少年の心を忘れない彼は魅力的です。でも、147の差です。ひらいちゃってるよねぇ。
裸足になるたびに突き付けられる魂問題。愛で魂の差は乗り越えられるのか?
逆に、自分が3なら、なかなか靴下を脱がないだろうし、450だと冬でも積極的に脱ぐよね。
「450だからって、あの人すぐに靴下を脱ぐのよ。自慢なんじゃない?ヒソヒソ」なんてことになっても恥ずかしいから、かえって脱がないか…。むつかしいな。
微妙な立ち位置の人間関係なら、「足の裏見せて?」なんて気軽に言えないから、自然な雰囲気で足の裏が確認できるところに人が集まるよね。
温泉の足湯とか?PTA役員のお母さま方でてんこ盛りよ。
それから、親が3で子供が150の場合はどうすればいい?肩身がせまいわ。
「宿題やったの?」なんて言えなくなるんじゃない?だってワタシ、3なんだもの。
つかれる…。魂年齢など考えないほうがいいのかもしれない。