脱力生活くらぶ

50代専業主婦 ゆるく生きてゆく

11ヶ月振りに実家に帰った日

母が白内障の手術をした。「見えへん」と言い続けていた原因が、老眼ではなく白内障だとわかったのは、昨年12月のことだった。

息子の靴下を履いた足に向かって「ユキちゃん(ネコ)」と優しく呼びかけた時、周りの人が気づいてあげるべきだったのかもしれない。

そんなに見えずによく暮らせたものだと感心しましたが、母曰く、75年も同じ家に住んでいれば、だいたいカンでいけるものらしい。

バスやタクシーで、買い物や病院に行っていたのもカンだったと言います。75年同じ街に住んでいるから出来たことなのかもしれません。素晴らしきかな人間のカン。

そして先月、手術をしたわけですが、これがもう、びっくりするくらい良く見えるようになったそうです。突然、世界がリニューアル。

手元30cmにピントを合わせてもらったので生協の注文表もバッチリ見えるんだと言います。メガネ無しの視力は1.0。

「もう書き間違えてキッチンペーパーが20袋届くこともないわ」と笑います。

同じ日に手術をした同室の3人の中で自分がいちばん見えるようになったこと、障害者手帳を持っているから手術代が2380円と激安だったこと、保険会社が両目で96万円の保険金をくれたことを何度も何度も自慢します。嬉しいんなら良かったわ。

ただ、薄ぼんやりした世界に長くいて刺激がなかったからか、ひとつレベルが(何の?)上がったような気がしました。

「ほら、臭い木あるやん?紅葉の綺麗なやつやん。小さい実がなる木」と母。

イチョウのこと?」と私。母はイチョウを忘れたようです。

八代亜紀を忘れ、パナソニックのことをナショナルと呼んでいます。そしてそれが、パナソニックではなくサンスターの話だったから、もう何が何だかわかりませんでした。

母が忘れたものを「小林幸子?」とか「坂本冬美?」とか「パナソニック?」などと言いながら代わりに思い出す。

それはまるで連想ゲームのよう。進まない会話がじれったい。

「見えるっていいわー」と言いながら嬉しそうに生協の注文表を書いているけれど、ずっとコーンポタージュのことを、ポーンコタージュと言っている母。

面倒くさいので、そのまま放置した。

そんな連想ゲーム大会の最中に、父が帰ってきました。久しぶりに会った私と息子にいろいろ質問をしてきますが、耳が遠い父に私たちの声は聞こえない。

自然と私の身ぶり手ぶりが大きくなっていきます。それはまるでジェスチャーゲームのよう。これはこれで大変だ…。

視力1.0になっても家の汚れが見えない母。見えるものと見たいものは違うらしい。荒れてゆく実家が悲しい。

私は、油まみれのポットを磨き、汚れが落ちていないコップを洗います。

それから机を拭き、床を拭く。ウェットシートなのに乾いてしまった元ウェットシート。どれだけ掃除をしていなかったのだろう。

カーリング出来そうなくらい滑るで」と息子が言う廊下をゴシゴシと拭く。4回拭いてやっと綺麗になった。

あんなにツルツルで、よく父が転ばずにいたもんだ。そんな奇跡に感謝する日。

父を仲間外れにしたがる母。持ち寄った美味しいものをあげない(私があげるけど)母がつらい。大きな声で父にガミガミ言う母を見ているのがつらい。

久しぶりに帰ったのに、父への愚痴ばかり聞かされるのが悲しい。

あぁ、実家に帰ると疲れるなぁ。